大河小学校にて「大河と海苔」講習

地域活動の一環で大河小学校にて「大河と海苔」というテーマで講習を行いました。

約50分間の講習でしたが、最後にクラス代表の子ども達から感想とお礼の言葉をいただきました。ついさっき話しをした内容をしっかり理解したうえで感想を述べてくれて組合員一同感激しました!
5年生の子ども達にどこまで伝わるか心配していましたが、逆に我々が子ども達から色々と学ぶ貴重な体験となりました。
この場をお借りして、5年生の皆さんと先生の皆さんにお礼申し上げます。

[追記]
後日、5年生の皆さんから感想文をいただきました!
励みになります。ありがとうございました!

広島と海苔養殖

広島の海苔養殖は300年以上の歴史があります。
広島城が築城された頃、大河地区は仁保島村という島の一部でした。(現在の黄金山)
本浦、仁保、大河地区で採取された海苔が藩主に献上されたという記録が残っています。
三角州という広島ならではの好条件もあり、西暦1700年頃から本格的に海苔養殖が始まり、東は海田から西は草津まで養殖が盛んに行われ、明治12年は水揚げ量で全国一位となります。
しかし明治から昭和にかけての埋め立てにより養殖に不可欠な干潟が減り、昭和50年代に広島市の海苔養殖の歴史は終焉を迎えることになります。
(現在でも僅かですが海苔養殖は行っています。)

引き継がれる海苔文化

養殖が無くなってしまったことは残念ですが、過去全国一位にまでなった広島ならではの海苔文化は現在も引き継がれています。それは「味付け海苔」です。
味付け海苔には「東京式」と「広島式」があります。大正10年、大河で海苔養殖業を営んでいた大村千代吉氏が東京式の味付け海苔を食べて衝撃を受け、これをなんとか自分たちで作れないものか試行錯誤します。氏はイリコやエビなど広島の海の幸からとった出汁をきかせた味付け海苔を開発し、これが大ヒットします。この成功により広島に海苔加工会社がどんどん増え、各社独自の味付け製法で凌ぎを削ります。
なぜ広島に海苔屋さんが沢山あるのか不思議に思われている方も多いかと思いますが、これが理由なのです。
先駆者達から引き継がれてきた広島の海苔文化はまだまだ健在です!